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Inorganic and Aesthetic

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SIGMA DP2X

浅草の雷門通りに虎(タイガー)軒という餃子屋があって、そこへたまに食べに行く。サービスや味はまぁまぁであるが、それよりもこの店の建物は大正時代に建てられたビルなので、まぁそれがお目当てというのもある。もちろん、店内は営業に耐えうるよう最低限のモディファイが施されてはいるけれども、しかしながら建物そのものは当時のそれで、東京大空襲の炎を浴び、煙を吸い、阿鼻叫喚の地獄を目にして、そして今日、餃子屋として余生を過ごしているわけである。何と愛しいことよ。

それと関係しているのかどうかは自分でもよくわからないのであるが、日頃、徘徊しつつエイジングの進行した構造物等を探し回っている自分が、時に卑しく感じることもある。もちろん、単に旧ければよいとか、そういう単純なことではなく、要はハートにズキンと来るか来ないか、そういうことなのであろう、きっと。

以前、一緒に仕事をしたことがある韓国人は「イルボンサラムはソウルに来ても、なじぇか(何故か)暗くて汚い路地裏ばかり歩きたがるんだよね。ソウルは先進的な大都会で、モダンな建物がたくさんあるのに。あんな路地歩いても、じぇんじぇん(全然)愉しくないじゃないか」と、少し困ったような顔でおれに言ったことがあった。

新しくて大きいものがよいものだというところに典型的な韓国人の価値観を見るような気がしないでもないけれども、まぁ彼の言い分もわかるし、侘び寂びが遺伝子に刻まれ、また情緒を重んじる日本人がしみじみと路地裏を歩きたがるのもわかる。

一見、情緒とは無縁のように思える無機質な構造物も、長い年月を人間と共に過ごすことで味わい深くなると思う。



by rising_h | 2017-11-26 00:27 | 徘徊 | Comments(0)